なぜ、この言葉にこんなにもときめくのだろう。
「オフレコ」という耳慣れない言葉を、初めて知ったのは、一、二年前に雨瀬シオリさんの『ここは今から倫理です。』という漫画を読んだときだ。同時期に山田裕貴主演のドラマも見た。
無口で無愛想で冷血漢な高校の倫理の先生・高柳が、一人の生徒ととある秘密を共有する時の台詞。めずらしく感情を乱したあと、生徒の前ではじめて口元をゆるめて、人差し指を口に当てる。
「この間、触ったじゃん あたしの手……」
「……あれはオフレコで!」
シンプルに山田裕貴が好きだったし、教師としての高柳に憧れを抱いていたので、この場面にどうしようもなくドキドキしてしまった。
私(生徒)しか知らない先生の顔。私だけに向けられた瞳。秘密の共有。なんて甘美。
この場面を大事に胸にしまっていたところ、リアルでこの言葉を発する人間に出会った。
「オフレコ」という言葉を使う人間、人生で二人目の発見。
深夜のベッドで通話を繋ぎながら、明日からの出来事における不安や懸念を打ち明けようとするとき、彼女は「このことはオフレコで、……」と若干躊躇するように口にした。
私は「もちろん、誰にも言わないよ」と食い気味に言った。ふだんめったにネガティブなことを口にしない彼女のないしょ話。私だから打ち明けようとしてくれている、試されている。話をしている、「オフレコ」で!そのときの私の口角は嬉しさと高揚で上がりっぱなしだったことだろう、彼女の不安に寄り添うべきだったのに、「オフレコ」と聴いたときのうお!この言葉現実で使う人いるんだ!という感情が上回ってしまった。
なんでこんなにこの言葉が好きなんだろう。クールな教師・高柳が使う言葉、という刷り込みがあるからだろうか。「秘密ね。」「内緒ね。」と言われるより、「この話はオフレコで」と申し訳なさそうに言われる方が、うれしくなる。秘密よりもカジュアルな感じがする。今から話をする「私」とそれを聴く「あなた」をつよく意識させる。
「秘密」は会話が終わったあともつづく。しかしオフレコで話されたことは、その時間がすぎればなかったことになる。当人の胸の内をのぞいて。
言葉は、音は、口から発されたそばから宙に浮いて消えてしまう。この儚さは、私が昔から考え続けてきたことだ。しかし、通常の現実世界では、音が消えても、内容は保持される、かなり長い間。
一方オフレコで話された言葉は、音が浮いていられる短さと、内容の保持されている短さが、少なからず一致している。言葉は、音は、口から発されたそばから宙に浮いて消えてしまうし、話された内容も、すぐに消えてしまう。この一致が、日常でめったにないから、めずらしいかんじがして、「オフレコ」で話すということの特別感を際立たせるのだろう。
私も、人に打ち明け話をするときは、あらたまった感じで口にして見たいものだ。
「この話はオフレコでお願いしますね」
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