村田沙耶香『消滅世界』を読了した。あまりにも自分が今考えていたことに刺さる内容だったので、これは専用に感想文を書きたいと思った。印象に残った節の引用を交えて、時系列順にまとめていく。
p104〜「キャラに対するそういう感情って、なんか、強制的にそういう感情を引き摺り出されてる気がして、疲れちゃう時がある。街を歩いていても、テレビを見ていても、こっちを発情させたり疑似恋愛させたりするために作られたものたちが、むりやりそういう気持ちにさせてきて、気がつくとお金を搾り取られてる。なんか、騙されてる感じがするんですよね。」
「俺たちに疑似恋愛感情を植え付けて、浪費させて食い潰すための疑似恋愛システムに、いつのまにか組み込まれてる感じ。だって、実際に経済がそれで回ってたりするじゃないですか、恋をさせるビジネスばっかりで、自分はそのターゲットって感じ。」
恋愛もセックスもなくなった世界。現実世界はその方がいいなあと思う。同人沼に住まう者としては推しカプのセックスがないのは少し悲しいけど、それはそれで、それとして受け入れられる。でも、恋愛というカードを封じられたら古今東西の創作物はほとんどネタ切れになるのではないか?と思ったり。
p156「家族と銘打った人間が本当は他人とどう違うのか、もう誰にもわからなくなってる。本当は、僕らはもうすでに失っているんだよ。」
正直言うと、人口子宮早く実現してほしい。それから人類も犬猫みたいに避妊処置すべき。中絶問題が解決するし生理もなくなる、いいことずくめじゃないか?男性も子供を産める、夫婦でセックスするのは近親相姦、キャラとの恋愛も当たり前、性欲は合理的に自己処理、交尾すること自体原始的とされる、そんな世界も割とアリだと感じるのは私が女だからか?
結婚なんかしなくても家族なんかにならなくても、一人だけで子供を産み、友達とルームシェアして暮らしたり一人で暮らすのが当たり前、むしろ従来の家族がマイノリティ。私からすればかなり理想的。Twitterで流れてくる数々の主婦の発狂ツイート、そんなものを目にしていたら結婚する気になる人の方が少ないだろう。結婚、そろそろ私の年齢的にも逃れられないものとして現れてくるが、できることならしたくない。結婚せずに子供だけ産み育てる、いわゆるシングルマザーとしてや、独身として生きる生き方に気が進まないのは、社会の中でマイノリティ、つまり不利な茨の道を自ら選択することになるから。私の考えでは、結婚とはいろいろな制度を利用できてお得、肩書きも得られてお得、それ以外の意味はない。だから、社会的にお得なことがなければ結婚なんて、煩わしいだけの行為をしたくはない。わかりあえない異性と生活をともにするより、友達をルームシェアする方が楽しいに決まっている。この小説が男性にとってはディストピアで、女性にとってはユートピアと聞いた。それはつまり、男性は結婚したいのかな、ということになる。結婚して、家事や子育てを妻に任せて、キャリアを積みたいのか、なんて思ってしまうのは、ひねくれているかな?女性は男性をうっすら嫌いで、男性は女性をうっすら好き、と、ネットの掲示板で見た。つまり、男性は人工子宮によって男性妊娠ができる世界になっても自分一人で妊娠・出産したくないし、同性とルームシェアもしたくない、ということなのだろうか。
人工子宮、私はとてもいいと思ったけど、それが結果的に消滅世界につながっていくなら一長一短だなあ。けど、人類なんてどうやったっていずれは消滅するわけで、それが遅いか早いかという問題ならこの世界が実現してもいいんじゃないか、なんて考えたり。
p229「『自分の子供』なんてものは存在しない。どんなにお腹を痛めて産んだ子でも、それは人類の『子供ちゃん』なんだ」
少子化対策の行き着く先はこれかもしれないなぁ。
p236「この世界のすべての子宮は繋がってる」
「私たちは、全員、世界に呪われている。世界がどんな形であろうと、その呪いから逃れることはできない。」「命がつながっている光景という強制的な正しさの前で、私たちは抗うことができずに、その『素晴らしい光景』に感動し、従い続けるのだ。」
p241「なんだか、これでもいいような気がしない?世界がどんなシステムになっても、違和感がある人は一定数いて、そのパーセンテージって同じようなもんじゃないかって気がするのよね」
p242「洗脳されてない脳なんて、この世の中に存在するの?どうせなら、その世界に一番適した狂い方で、発狂するのがいちばん楽なのに」
ディストピアらしい一文。
”実験都市・千葉”について。(この文字の並び、なんか妙にリアリティがある。)「子供ちゃん」「おかあさん」はさすがに違和感あったし、なんか徐々に気が狂いそうな世界になってきたが、まあこのなかで生活していたら慣れるのだろう。同じ表情の子供、人類全員妊婦。多様性が保証されているようで、気がついたら真逆の方向に突き進んでいるな、と言う印象を受けた。
多様性しかない世界と、多様性の全くない世界って、実は同じなのではないか。平等であるとは、多様性が全くないってことではないのか。人類全員が妊婦でありおかあさんである光景を見ているとそう思える。
「恥じらい」「寂しい」という感情を失った人類は、どこか洗脳・統制されたオーウェルの「1984」の世界を彷彿させた。
でも、人類の身体も感性も古代から変わらないという。作中で「人類は進化し続ける、身体も」と言っていたが、それは違うと私は断固主張したい。古代から変わらない、人間は愛し合い、セックスする。その人たちがどんなにマイノリティとなっても。どんなに世界から恋愛が排除され、セックスが異端なこととされても、謀反は続く、永遠に。
村田沙耶香さん、異様な世界をあたかも当たり前ですけど?みたいな顔して書くのがうますぎる。紋切り型のストーリーで感動させるだけの物語なんてつまらないから、小説ってこうだよなと実感。たくさんのことを考える端緒となってくれた、素晴らしい小説だった。
(追記 2025/04/24 「子供ちゃん」などという、「所有」という概念がないこの感じ、明らかに共産主義的だな。と気づいた。恋愛に関して考え方が揺らいでいる今日この頃、読み返したい作品。)
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