いろいろな屑、それぞれの地獄

先日、旅行に行ってきた。高校の友人と。

一日遊んで、ホテルで深夜、まったりとおしゃべりをしていた。

まだ二人ともお酒は飲めない年だし、散々ポテチやらお菓子も食べた後だったので、私はほうじ茶、彼女は緑茶。近くのコンビニで適当に買ってきた柿の種をポリポリやりつつ、言葉を紡ぐように会話していた。

彼女と過ごした忘れられない夜は思い出の中にいくつかある。言っておくが変な意味ではない。高校の卒業式の前夜、カラオケに行った帰り、最寄り駅まで散歩がてら延々と歩いたこととか。ラブホ女子会で盛り上がりオールしたこととか。彼女は友達の少ない私にとって、ムッとする点も多くあれど、楽しく居心地良くいられる貴重な存在なのである。


ここまでなら、普通の大学生が普通に友達と遊んだ記録になってしまうだろう。

なぜわざわざこんな記事を書いているのか(ちなみに、結構長くなる予定である)。


彼女の生い立ちの話を聞いた。そして考えたいろいろなことを、忘れないようにここに、綴って、留めておきたかったのである。

あまりに雑多なので、まとまった文章というより、箇条書きのようになってしまっていることをここに詫びたい。体裁を整えるより、旅行から帰ってきてすぐに書き出した、その時の混沌とした思いを保存しておきたかったのだ。話題があちこち飛んで読みづらいが、その時の心中も同じようにとっ散らかっていたのだと理解していただけると幸いである。

では、始める。


正直、信じられなかった。内容については、彼女が他人に自分の生い立ちをここまで話したのは初めてと明かしたこともあり、ここで詳細に言及するのは避ける。かいつまんで書くと、幼い時に離婚した両親に振り回され、大変苦労したという話だ。


率直な感想を書くと、こんな近くに、『そんな人』がいたのか、というものになってしまう。

だって、それまで彼女が『そっち』だったなんで、思いもしなかったのだ。話をしていても、趣味に好きなだけお金を費やしたり、家族と旅行に行っていたりして、いわゆる『かわいそうな人』の雰囲気を全く感じさせなかった。今思えば、それは彼女の努力、彼女の意地、だったのかもしれない。


ここまで考えて、気づいた。私は彼女から、彼女の(おそらく)最大の弱みを明かされてしまった。それはつまり、私が彼女を加害できる材料を得てしまったということだ。____その恐ろしさに震えた。彼女の一番柔いところにさわった私は、言い方を変えれば、彼女を徹底的に加害することが可能である。可能になってしまった。

人に弱みを曝け出すとはこういうことか、と、生まれて初めて、身体的に実感したかもしれない。これから彼女に言葉をかける時には、特別慎重であらなければならない。これから自分は彼女を取り返しのつかないほどまで傷つけることができてしまうのだと、自覚を持って。_____しっかりせねば。

私が相手の弱みを握っているこの状態があまりにも不安定で不安なので、私も次回会う時には、私を傷つけられる材料を明け渡そうと思う。その重さは対等ではないかもしれないけれど。


他の感想としては、そういうのフィクションでよく聞くなあということだ。救いは、彼女の話に(フィクションならお決まりの)「死」が絡んでいなかったことか。他人が真剣さを持って語った人生に対しあんまりな感想である。が、その話を聞いて思い出したことがあるのだ。

高校時代の文芸部の先輩が書いていた話に、よく似ている。先輩の小説には、母親が水商売に明け暮れ、知らない男の人を家に連れ込み、寂しい思いをしている少女が頻繁に登場した。それを読むたび私は、先輩はなぜこんなに頻繁にこの設定を用いるのだ、もしかして何か、と杞憂とは思いながらも少し心配していたわけだが、、、。



本音を言えば、彼女が語ったことは本当なのかという疑念が心の片隅に絶えずある。その昔、虚言癖のある友人の創作話で騙され酷い目に遭わされた経験があるためだ。まあでも、そんなこと疑ってもどうしようもないわけで。


しかし、フィクションで使い古された、いわばかわいそうな主人公が物語を始めるきっかけを手にするための舞台装置に過ぎないシチュエーションが、現実世界にも存在するのだと、改めて、ひしひしと、実感した。正直、虐待のニュースは、新聞・SNS・テレビでだけの話だと、心の奥底では思っていたのだと、自覚させられた。

私が味わってきた地獄と、濃度が違う。

あれだけ壮絶だったら、不幸マウントにも精が出るだろうし、周囲が幸福そうで羨ましいと大っぴらに言っても許されるじゃん、と思うくらい。

母親に見つからないように、深夜ベッドで頭を抱えて蹲っていたという幼き彼女の姿を思い浮かべると、正直、身を切られるようにつらい。これがフィクションじゃないのだということが、一番、しんどい。私は気づいていなかっただけで、フィクションの「かわいそう」を消費できる身分にいたのだと思い知らされることも、なかなか、応えた。私だってしんどかったのに、と、対抗できない悔しさも。


裏切られた感もないわけではない。彼女と私は、高校時代、よく家庭環境や親の愚痴を言い合ったり、将来への憂いをきつい言葉で吐いたりした。私の文句に同調しながら、内心では自分とは程度が違うじゃんとか、これくらい私の耐えてきたことに比べれば、などと思ったのだろうか。面と向かっては私に言うわけはないが、絶対、私のことを心の内で馬鹿にしたことがあるだろう。そんなことを思ってしまったりする。友人のあんな話を聞いておいて未だ自分が可愛いか、と失笑したくなるが。


______それぞれの地獄がある、と、言ってしまっても良いのだろうか。すっかり自信がなくなってしまった。私がこう思うのを彼女は望んでいないだろう。

私に何かできることがあれば、なんてしょうもないエゴも、彼女には全く不要だ。実際、彼女は一人で戦い、折り合いをつけているのだから。私は無力で、何の期待もされてやいない。ただ真摯に受け止めることしか、許されていない。


 実は私は、そういう子供たちの力になりたい、と、思っていた。自分だって家のことでは少なからずしんどい思いをしたし、私と同じような、親にも、先生にも頼れない、子供たちの拠り所となりたいと、それを人生の目標の一つとして、ちょうど据えようとしていたところだった。

でも、すっかり打ち砕かれてしまった。彼女の話を聞いている限り、彼女が小学生で、家庭内で大きな不和を抱えていた間も、外面には何の変化もなかったという。現在のままの元気な彼女で、懇談には親も来るし、勉強に支障が出るとか、様子が変だとかも何もなかったと。

学校は気付きようがない。それに、あの子がなんだか精神的にしんどいらしい、と気付けたとしても、親の素行にどう口を出せるだろうか?

私がしんどい子供たちの力になりたい、と思った時、学校の先生ではだめだ、とは思った。

学校の先生なんか、何十人もの子供たちをまとめるのが仕事で、一人一人にじっくり向き合う人などではないからだ。あくまで一対一であることが大切。そこで私が考えていたのが、児相などのプロとか、家庭教師など家庭に赴いて一対一の関係性を築ける立場とかだ。

しかし、そんなもの何の役にも立ちやしない、と、思い知らされてしまった。

結局、偽善だったのではないか。と。


私は昔、よく、自分がもっと不幸だったらよかったのに、と思うことがあった。例えばボカロ曲を聴いていると、コメント欄でいわゆる不幸自慢大会が始まることがあった。ボカロなんて暗い曲や病み曲が多いから、○○な私に寄り添ってくれた曲ですなんて書いてあるところが非常に多かったのだ。それを見た、そんな経験のない私は、なんか、いいなあ、と思った。そのコメント欄に共感のリプライが大量についているのなんかを見つけると、自分も一緒にわかりますよなんて言ってみたくなった。私がセクマイで”いたかった”のもそれが理由。

でも、できなかった。コメント欄の人たちを羨むべきではないとか、自分がただ世間知らずなだけだとか、今ならわかる、しかし、当時の自分にはどうやってもそれ以外見えてなかった・見る術がなかった。なので私は昔の私がそう思ったこととか、自分が自分なりに乗り越えてきたしんどい経験などを否定したり軽んじたりするつもりはない。むしろ、自分が肯定しなければ誰が肯定してくれるんだ。誰だって自分が一番可愛いのだから。あれっ、開き直ってしまった。

元々この文章は彼女に読ませるつもりで書いたのに、こんな結末になってしまっては死んでも読ませられない。




最後に、なぜこのタイトルに「いろいろなクズ」と入れたのか。私の母の話を少しだけしたいと思う。母親ならこう言うだろうという言葉を、書き出してみる。

「そんな変な家の子と関わってたらうちまでおかしいと思われるから関わるのをやめろ。友達を選べ。もっとちゃんとした子と遊べ。」

私が母親のようになりたくないと思う気持ちがわかっていただけただろうか。いろいろなクズがいたものである。




p.s この文章の最初の方に「なんで『普通ではない』のに『普通のふりをしていた』のか?」と書こうとして、特大ブーメランがぶっ刺さったのでやめた。その話はまた、機会があれば。

 

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