戦争とチーズてりたま

 ロシアでマクドナルドが全店舗閉鎖されるらしい。
それにとどまらず、緑背景に女神が微笑むアメリカの某コーヒーチェーン店も。
 それを知って、無性にマクドナルドが食べたくなった。あの細いポテト、食べた後には何も覚えていないバーガーの味、喉に引っかかる炭酸。もしかしたら日本でも食べられなくなるかもしれない。日米間には安保があるのだからそんなわけはあるまいと理解してはいるのだが、そんなんじゃなく、感覚的なものだった。
そういうわけなので、家の近くにできたショッピングモールに赴き、フードコートにあるマクドでチーズてりたまのセットを買った。フードコートまで歩く道中、こんなにたくさんお店があるのに、前回来た時もマクドが食べたくて仕方なかったことを思い出した。なぜだろう。なんかそういう理論があった気がする。たくさんあるものの中からいつも同じ、馴染みのものを選んでしまう人間の心理。確かに読んだ気がするのだが、忘れた。受験が終わると同時に、私の賢いはずの脳みそは急速に劣化を始めたらしい。
ポテトはいつもより少し塩からい。フードコートは子連れのお母さんや正体不明のおじさんでまあまあ賑わっている。近くにゲーセンがあって、ざわざわうるさいが、これも新生活に慣れるための練習の一環として耐える。飲み物はアイスコーヒー。何かジュースでも飲もうと思ったが、注文口で無意識にそれを口走っていた。朝も飲んだし、家に帰ればいつでもただで飲めるのに。まあ、でも、こんなんなんぼあってもいいですからね。なんとなく目についたチーズてりたまは案外おいしい。たまごがぷりぷりしていてボリューミーだ。しかしこれは本当のたまごだろうか?母曰く、イ●ンの惣菜に入ってる卵焼きなど、安価なやつはたまごに見せかけた謎の物質であることがあるのだとか。確かにお気に入りのうどん屋の弁当についてくる卵焼きはプラスチックみたいで明らかに不自然だ。でもいい。べつにそれで構わない。死にはしないし死んだっていい。過去の記事でも書いたように、私は早く死にたいのだから。そんなことをつらつら考えながら嘘のたまごを食む。おいしい。おいしければいいのだ何だって。人生だってそう。全部嘘でも楽しければいい。騙されていたい。そっちのほうが楽だよ。
今この間にもかの地では戦争が起こっている。生きているうちに戦争についてリアリティを持って考えることなんてないと思っていた。しかも、こんなにも早く。教科書の中の出来事だと、信じていた。無意識に。

私は戦争を起こしたあの国が好きだった。雰囲気、音楽、花に文学。今は、どうだろうか。ロシア語を勉強したいという思いは、一時は揺らいだけれども、変わらない。けれども、動機の一つに、敵国の言語を知るということが入ってしまったことがどうしようもなく悲しい。

本音を言えば、早く普通に戻って欲しい。しかしプーチンの任期はあと14年。長めに見積もって、私がおばあちゃんになる前に平和になってくれさえすればいい。見通しは暗い。西側諸国は核戦争を避けることを優先してウクライナを見捨てる。とまではいかないけれど直接的に助けはしない。これからかの国はどうなってしまうのだろう。ゼレンスキーは。民間人は。義勇兵に志願したとある在日YouTuberは。
不安は尽きない。
これが正しいことなのか、恐らくそうではないが、私にできることは、自分が今チーズてりたまを食べることができているのを有り難く思うことだけだ。

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