イヤホンと憂慮

この八月、毎日のように繰り返してきた朝を今日も履行する。デジャヴのような日々。自ら選択したのだから文句など言うまい。
定時きっかりに発車するバス、ひらひらした半袖に黒のリュックと、お弁当の入った手提げかばん。朝の陽光は健全にこの季節をあらわしてまぶしい。家から適当に引っつかんできた安物のイヤホンからはUNISON SQUARE GARDEN。この時間から良質な音楽で気分上げていこう……という魂胆なのだが、バスの中は思いの外うるさくて集中して楽しむというわけにはなかなかいかない。

そう、バスの中は、意外と音が満ちている。窓を開けずとも、ましてやこんな都会ともいえない町を走るバスでも。
常時だいぶ大きめの音量で流れ続けるアナウンス、エンジン音。周りを走る車の音。やっとアナウンスが静まったと思ったら次から次へと現れる停車駅。開閉する扉のガチャガチャした音、続々と乗り込んでくるおばさんたち……。それらは安っぽいイヤホンなど易々と突き破って私の耳に侵入してくる。
こんな状況では音楽だってそれらと同じ、頭上を通りすぎていくだけのバック・グラウンド・ミュージックにしかならないことも往々にしてあるので、集中などできるはずもない。外で音楽を聞くとこうなるから嫌なんだよな。イヤホンがチープすぎて低音もゴミのようだし。私はユニゾンはベースラインまでしっかり聴きたいのに。
と、音楽をちゃんと楽しみたいなら家でヘッドフォンがベスト。これが三年間バス通学(バスだけ
じゃないけど)してきた私の結論だ。


最近のバスはお年寄りが多い。これはきっと気のせいではないだろう。
いや、電車だってそうなので公共交通機関にお年寄りが多いというべきか。
いやいやいや、社会全体にお年寄りが多いのだろう。
今車内を見ても、私と同じぐらいの十代女性が一人と、あとは高齢者が男女あわせて十人ぐらい。
色つきレンズの眼鏡をかけている人や、常に顔をしかめている人もいるので彼らの外見から感情は読み取りにくいが、高齢女性は大抵ぺちゃくちゃ大声で喋りあって楽しそうだ。
正直うらやましい。私も早く定年迎えてのんびり過ごしたい。まだ成人してすらないけど。


※ここからスーパーネガティブタイム突入※


だってこれからの人生嫌なことばっかりだ。そんな気がする。
何が嫌かって、まず年を取ること。先程と矛盾しているようだが、ただ年寄りになりたくないというよりはじわじわ年を取るのが嫌でたまらない。いっそ、誰が見てもオバアチャンと言い切れるぐらいまで一気に年をとりたい。

三十になるのが怖いのだ。

将来の見通しも地位も特になく、ただ自分の賞味期限が切れていくのを感じながら、じわりじわりと首を絞められるような生活をするのが。
もっとも、大学卒業ぐらいの年齢が一番怖い。恋愛、仕事、その他もろもろの社会的ミッションを押しつけられ、モラトリアムを剥奪されて、年だけ取っていく無間地獄へと背中を押される。
……いや地獄は言い過ぎか。

要領のよの字もない自分がうまく生きていける未来が一生見えない。
正直将来の自分は、社畜にでもなって、友達もおらず社会的に孤立しているような気がする。
はーいやだいやだ。せめて今の十七歳をじっくり味わいたいものだ。

昔の人は言った。
長生きなんかしても、周りに迷惑をかけ、若者から疎まれ、取り残されていく自分に心苦しさを感じるだけなのだから、人間、四十ぐらいで死ぬのがよい、と。
さすがにそれは早すぎると思うが、だらだら長生きするべきでない、というのには首がもげるほど頷いた。

とにかく早く人生を終えたい。畢竟それに尽きるのだ。


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