昔の話をしよう。

とうとう、このことを言語化する時が来たのかもしれない。

これまでいろいろな自分語りや、主張や、感慨を記事にしてきた。
それだけに留まらず、世にだしていない些細な気持ちのかけらは心の中にうず高く積もったままである。

しかし、私はずっと避けてきた。心の内で何度も反芻し、思考の泥沼に沈んでは、心の柔いところを踏みにじられる恐怖と甘酸っぱい匂いとが両立していたあの日々の思い出を、私の外へ出してしまうことを。

言葉にした途端、それまで考えていたことは、ふうと小さな毛玉のようになってしまう。

たぶん、私はそれを恐れている。

あんなに考えてたことって、なあんだ、こんなに小さな、とるに足らないことだったのか。なんて、思いたくない。

これは、まだ大事に胸に抱いておきたいものだから。それに、あれからもう何年も経つけれども、未だうまく言葉にできる自信がない。


大好きだった人がいた。それは恋愛的な意味でも、友達としても。
今思えば、この気持ちはきっとあの現象に近い。誘拐された被害者が、犯人に恋する、あれ。

.世界への求愛

或る学生の感情倉庫

0コメント

  • 1000 / 1000