青年、恋とは

夏が来たようである。一年に一度は会っている筈なのに、初めて体験したような気がする。夏。

不思議だよなあ、と毎年のように思う。今、夏の門をくぐった私は冬などという存在を知らない私だ。つい半年ほど前、あれほど悲鳴を上げた凍てつく風の手触りも、救われる気がしたマフラーの温度も、何も思い出せない。まるでもともと知らなかったかのように。
そしてまた性懲りもなく、扇風機の風を浴びながら、プール上がりの髪に塩素の匂いを感じながら、明るい教室の水色の空気を呼吸しながら、夏が来たんだなあ…なんて感動している。


帰り道、同じ制服を着た、肩を寄せ合って歩く男女の姿を見ることが、最近、急激に増えた。
そりゃそうだよなあ。この夏の熱気に浮かされて。誰だって恋がしたいに決まっている。
二人の身長差はまちまち。男の子が女の子の頭にぽんと手を載せたり、寄りかかったりすると、女の子はゆるっと体を傾けて、やわらかく受け止める。髪が、相手の肩にさらりとかかる。生まれたままの黒髪がどちらのものともなく交わって、境目もわからなくなって……。


いいなあ。



ずっと、私は自分のことをバイセクシャルだと思っていた。この時だって、二人のどちらに羨望を抱いていたのかわからない。自分とは違う何もかもを持っている男の子か、自分と同じだからこそその綺麗さが心に染みる、女の子か。

ちなみに、これは同性が恋愛対象に含まれてる人あるあるだと勝手に思っているのだが。

たとえば私の場合だと、クラスの男子がかわいい女の子の噂をしていると反射的に聞き耳をたてて、今度の班別学習であの子と同じになって嬉しいだとか、いつも髪をおろしてる子がアップにしたときのギャップにグッとくるだとか、他愛もない話に心の中でウンウンウンと高速頷きをかましてしまう。私は性自認は女だし、それに満足もしているけれど、こういうときばかりは男子になって わかるぅー!!!って話の輪に入っていきたい衝動に駆られる。
だって女の子って最高だもんなー…。わかるよその気持ち…(しみじみ)。

まあその話はおいといて。

というか。

そもそも恋ってなんなんだろうな…。



私にだって一応好きな(と、自分では思っている)人がいる。(ちなみに異性。以下Kとする。)

しかし、時々、誰が好きなのかわからなくなる。
私が恋しているのは、「かけがえのない」K自身か。男子という生き物か。はたまた、人間、それ自体か。

おしゃべりしていると、たまに、別にKじゃなくてもいいじゃん、となる。Kじゃなくても素敵な人はいっぱいいる。魅力のない人間なんていない、というのが私の持論だ。どんなに外面が嫌な奴でも、その人の過去、育った環境、等、そうなった要因を知って受け入れていけば、誰にでも必ず愛すべき所は見つかると思っている。
私が今のところKにしかない、と思っている、その低く優しい声だって、筋ばった指だって、同じものを持っている人はこの世にいくらでもいて、偶然私が出会ったのがKだったというだけであって。


しかし、それは、その人を構成している要素を外的なものしか未だ知らず、だから外見だけなら似てる人なんかいっぱいいるのに、となるのかもしれない。もっと深く、深く、その人だけの見方で体験したその人だけの過去を知っていったら、恋愛においての人間の代替可能性なんて霧消していくのかもしれない。…私が、そこまで他人と深い仲になる技術がないだけで。



私が未だ、この人じゃなきゃ、と思える人に出会っていないだけなのか。

いや、でも、しかし。



恋とは畢竟、偶然と思い込みの産物だ。




偶然、この環境に自分はいて、偶然、その人がそばにいた。

あー好きだな、ってなんとなく思ってしまったら、あとは思い込み、一直線。

心の奥をぽっと熱くして、意味もなく頭の中をその人で埋め尽くしてみる。
隣にいれば心臓がとくとく鳴るし、ひとたび目が合えば体温急上昇。


ぜーんぶ、思い込みのせい。


最近思う。その人じゃなきゃ、なんて、そもそもそんなもの、フィクション限定品なんじゃないか。
だってこの世にはあまりにも人が多すぎるんだもの。
みんな愛すべき所を持っていて、みんな素晴らしい。そう思わないのは、その人を未だ知らないだけだ。(たまにそうじゃない人もいるだろうけど)


そういう意味で、私は、恋愛相手なんて誰でもいい。人間は誰でも最高だから。



……これはバイセクシャルというよりパンセクシャルではないか?


わからない。前から思ってたが自分のセクシャルが永遠にわからない。グラデーションでいいとは聞くけれど、やっぱりもやもやするな……。

と、話題が迷走し出してなんだかよくわからない着地点に到着したところで、終わっとこうかな。 

.世界への求愛

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