無題

就活というやつで、面接官とやら、見ず知らずの人に自分の深い部分を知られないといけないなら、もう誰に知られたっていいと思った。

これは『.世界への求愛』という、壮大なお気持ち表明。

友だちにも誰にも言えなかったこと、必死に求めながらも必死に抑えつけていたこと。

大人になったら人の話を聴くことなんて当たり前なのに、子供の話はなんで誰もちゃんと聴いてくれなかったんだ。


 大人になるって本当に良いことだ。周囲がやさしくなる。やりたいことがあったら応援してくれるし基本的には人として尊重してくれるし大抵の人は私の話をちゃんと聴いてくれる。それだけのことで涙が出そうになるよ。なんで私が子供の時は誰も話を聞いてくれなかったんだ。夢を語れば笑われて、何気ないことであんなに否定されてボロカスに言われて、なんであんな仕打ち受けないといけなかったんだ 味方なんてほぼいなかった 狭い世界で生きてたからだよ つまり親ガチャってことだよ

昔は敏感すぎて擦れてたけど、それもほどよく角が取れてきて、大人になるって生きやすくなることだなあ 一人で生きられるようになるだけ贅沢だ 暴言も人格否定にも名前がついて、当たり前に裁かれて救ってもらえて、贅沢だ 大人になることがこんなに優しいことだと知ってたら、もっと早く大人になりたかった。

誰にも言わずにずっと秘めていたこと、ぜんぶ面接官にぶちまけた。当たり前に受け止めてくれた。興味を持って聴いてくれて、質問までしてくれた。涙が出そうになった。社会ではこれがあたりまえで。人が必死になっていることを否定など滅多にされないのだ。すごい。家の中ではあんなに一生懸命訴えても私の言うことなど誰も聴いてくれないのに。ちゃんと理由つきで、論理的にしゃべってるのに「うるさい」と怒鳴られて一蹴されることを、こんなに一生懸命聞いてくれるんだ、ふつうの大人っていう存在は。

たぶん、何歳になっても、私の中の子供が求めている。砂場で泥団子を作ってお母さん、見て、と求める子供が心の奥に未だにいる。

面接で泣いたら笑い者だろう。話を聞いてくれて、私を知ろうとしてくれて嬉しかったなんて。本音を言ったから涙が出たなんて。もうとっくに成人しているのに。誰にも知られないように必死に隠してきたことたちは、隠さなくてよかったんだ。

こんなに長い年月がたって、やっとわかった。

話を聴いてほしかったんだと。

世界への求愛は、「私の話を聴いて」の叫びだったんだと。

だって自分が本当にやりたいことなんて誰にも知られてはいけないと思ってた。

.世界への求愛

或る学生の感情倉庫

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