彼女が欲しい。
恋人が欲しい。
なんだっていい。ひとの形をしていれば。
動機
さいしょはまあ、しょうもないきっかけだ。
2024年12月。
寒い。
異様に寒い。もうだめだ。今年の冬こそしんでしまう。こんなの、乗り切れない。
─恋人なくして。
そう思っただけ。
それに最近、周りのお友達がやたらと彼氏を作っている。
いちばん衝撃だったのは、高校からの友人に彼氏ができたこと。
日記にも書いた。衝撃的なことだったので、まるまる1ページかけて、彼女を彼氏(ややこしいな?)に奪われたことのうらみつらみと、自分が彼女になにをしてあげただろう、なにもできなかった、完敗だ、不甲斐ない、ということを書いた。
と、まあ、あの子にさえついにかれぴっぴができたのだということで、自分はどうなのだろうと振り返るきっかけになった。
そして、2025年1月下旬。恋人が欲しいと思うさらなる理由ができた。
タイトルの欲求である。
大学の教職課程で、「教育原理」という授業を受けていた。そこで教科書として使った、「キーワード 現代の教育学」。そこの13章「悪の体験」という章のなかで、ずーっとうっすらふわふわもやもやとしていたことが言語化されていたのだ。
バタイユによる悪の定義では、有用性を破壊する、理性による計算を破壊することは総じて悪である。有用性とは目的─手段の関係のことである。人や動物を殺害することは有用性を破壊している(「供犠」)。遊びで無意味なものに蓄財を使い果たすのも有用性を破壊している(「蕩尽」)。一切の見返りを求めない行為も、有用性を破壊している(「純粋贈与」)。
その中の一つである、「エロティシズム」はなぜ悪なのかについて。
恋は悪だし、性愛も悪。
漱石の『こころ』でも先生は言っている、「恋は罪悪ですよ、君、わかっていますか。」
なぜ悪なのか。いくよ。
これらの体験は合理的じゃないし、理性を撹乱するので、悪。
性の体験のもたらす快楽は陶酔感が深いので、悪。
セックスは、陶酔感と脱自=エクスタシーの体験である。
これは自己と世界の境界線を溶かし、相手との心身の融合をもたらす。
この世界との連続性の体験である。
これは自我の孤立性を否定している。
原理的に言えば、これは死の体験である。
「エロティシズムとは、死を賭した生の讃歌である」
…………。
ここまで言われたら、気になるに決まっているだろーーーーーーッッッッ!!!!
性って、そんなに死に近いものだったのか。
ヤバイ。気になってしょうがない。早急に私も味わってみたい、その脱自とやらを、自己と世界の境界線が溶ける体験とやらを!!世界との連続性とやらを感じたいッッッ!!
……だから、恋人がほしい。
というわけで、さまざまな活動を己なりにがんばってみたわけである。
その過程を以下に記す。
【ハルノさんのかのじょ作るぞ日記】(2025/02/03時点)
12月上旬 COSYを始める
(2週間ほどで挫折)
1月上旬 Twitterセクマイ垢を始める
継続中
2月上旬 思い立ってヘテロマチアプを入れる(with)
3月上旬 彼氏ができる
一旦fin!
withを始めたよ(2025/02/03)
なぜ始めようと思ったかというと、この2ヶ月でわかったからだ。同性同士で付き合おうというとやっぱりハードルが高いのだ。女性同士、役割も定まっていない。ふつうに接していれば友だちで止まってしまう。そこからの持っていき方がわからない。し、壁も厚い。
男女だと、やはり男がリードするみたいな風潮がまだあるので、それにとりあえず乗っかっておけばなんとなく楽だ。形式というものがある。それを男から学びたい。
アプリをインストールして驚いたのだが、もンのすごく整備されている。プロフィールの書き方とかマッチングの仕方とか。手厚い。ゲームのチュートリアルみたいだった。しょーじき社会がヘテロ恋愛を推す勢いが想像以上にすごかった、てのが所感 アプリの仕様からもうそれを感じた。
2/8 1回目の対面。アプリで人と会うのは初である。他大、文学部、同級生、と趣味の合いそうな人だったので、16時ごろから映画をみて喫茶店で晩ご飯というルートをとった。この人と続きそうな雰囲気を察したので、以来一度もアプリを開いていない。面倒くさいし。可能性のありそうな人が一人いれば十分だ。共感ベースで話して/聞いてくれ、女とのコミュニケーション経験がちゃんとある人だとわかる。
2/23 前回の人と2回目の対面。あまり早くから会うと疲れそうだと前回感じたので、15時待ち合わせを指定し、20時ごろ解散。 喫茶店に行って、しぬほど歩いて、歩きながら話した。夜は居酒屋にも行った。次はアウトレットに行こうと自然な流れで約束した。キザにならない範囲で、こっぱずかしいことを言ってくれる。すごくいい塩梅。友達じゃないけど親しい関係ってこうやって築くのか。積極的に名前を呼べる人ってすごいと思う。いや呼んだ方がいいことずくめなのはわかっているんだが、どうにも恥ずかしくなってしまう。私のこれは性別あまり関係なく。こちらが喜んで受け入れる姿勢を見せたり、きていいよと雰囲気で伝えさえすれば、ぐいぐい来てくれるからありがたい〜。男女という形式に守られた、定められたステップを履行すれば周囲の評価もついてくる関係、楽ちんだなあ。こりゃ実績解除待ったなし。
あと、今まで、デミロマンティックだと思ってたけど、全然アプリで会った人でもいけるわ。ということがわかった。
3/8 3回目
付き合った。こんなに早いものか。実際起こったことについては日記(紙)に書いたので、精神面で起こったことについて記録したい。
まず、3回しか会ってない人を好きになることはまずないということがわかった。前回、いけるわと思ったけど、この段階ではお友達としてあり、という認識でしかなかった。慣れないことのドキドキや緊張を勘違いしていただけかもしれない。恋、じゃあないと確信した。でも一緒にいて居心地は良い。話すのは楽しいし。趣味も合うし。でもやっぱりデミなんちゃらなので、これから、年月が経つにつれて離れ難くなっていくことだろう。数ヶ月後なんてべったりになってるんじゃないかな。今はまだ、形式的に恋人になっただけで、お友達として慣れていくところからスタートだ。
でも、形式的に恋人になったことの、関係性に唯一の名前がついたことの、何がいいかって!この名前さえあれば、相手はわたしのものなのだ!音楽の趣味を自分色に染めたり。寂しいなと思った夜に通話したり。好きなだけスキンシップをとってもいいのだ!片想いのときには必死に押し隠していたあれやこれが、「許されている」感がすごい!こんな関係性があるなんて、知らなかった。
わたしだけのひとって、すごい。家に帰っても、わたしの本当に帰るべきところは、親のもとじゃあなくて、こういう、わたしを本当に大事にしてくれる人のところなんだって、思えるようになった。ふふ。浮かれている、かもしれない。
いよいよ忙しくなる5月ごろまでには、恋人との関係性を安定させておきたいな。会うだけでパワーチャージできるような、帰る場所のような、安全基地みたいな。場所になってほしい。まずはコンスタントに連絡をとることを、がんばってみる。
11日になってこれ↑書く前の率直な感想↓
何のために恋愛をするのかを見失わないでいたいね
プライベートを充実させるためだよ!
恋愛の代わりに自分を満足させる方法なんていくらでも知っているから
いつでも降りられるんだよ それを忘れるなよ
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