七月のつれづれ

 文章を書きたい、書きたい、書きたい、というどうしようもない衝動に、この数日間襲われていた。金曜に発表する演習のレジュメがまだ1000字しか書けていないのに、先週サークルの定期演奏会が終わったばかりでまだ余韻に浸りきれていないのに、長いこと文章を書かなさすぎて文章力の衰えを自覚するのが怖いのに。書かない理由は無数に挙げられる。だけど、この夕、「本当にやりたいことを我慢している時特有の焦燥感」がピークを迎え、これは……この状態でレジュメ書いてもいいものはできないだろうと直感したので、授業が終わって偶然会ったサークルの友人と二言三言会話をして、大学から帰る駅の近くのサンマルクカフェに飛び込んだ。今カフェのWi-FiでPCを開いている。18時を過ぎてしまうと、大学近くに点在している個人経営のカフェは大抵どこも閉まっているし、wi-fiが確実にある場所、という点でやはりチェーン店しか居場所がなかった。せっかく地元を離れて遠距離通学しているのに、結局どこにでもあるカフェか、という感は否めないが。サンマルクカフェ、ほどよく照明が落とされていて居心地がいいんだよな。


 とにかく、書きたくて書きたくてたまらない。なにから話そう?大学三回生になって、変化したことがあまりにも多すぎる。最近の私は、高校生の時が嘘のように、毎日友人と楽しくおしゃべりしながら昼食を食べている。面白いね、とたくさん言われて、服やアクセサリーのセンスをいっぱいほめられて、彼女らといる時の私は心から笑えている。たった一人の幼馴染や高校で唯一心を開いた彼女と話す時以外は、テーマパークで働いていた時しか出てこなかった笑顔で毎日いっぱいである。本当にありがたいことだ。すぐ他人から逃げようとする私をつかまえて暖かく迎えてくれる彼女らがいなければ、私の大学生活はどんなに色彩を欠いていたことだろう。うれしいね。


 そんなこんなで、サークルに授業の発表にバイトにと忙しい毎日だったのに、ふとこのブログをまた訪れたくなったのはなぜだろう。自分の思想を見返したくて、過去の私はなにを考えていたのか思い出したくて、Twitterからわざわざリンクをたどってここに来たんだっけ。それで、過去の記事に目を通しているうちに、へえ、意外と読ませる文書いてるじゃん、となって、自分でもまた書きたいなと思ってしまったのだったか。

(昔に比べてタイピングが格段に速くなって、今ではもうほぼ心の中で思うのと同じ速さで文章を打てている。最初にタイピングガチりたい、と思ったのは大学一回生ごろだったか?当初は一万円コースで損をしないことがはるかな壁に思えたが、最近では一万円コースで二万円分お得!を叩き出せるようになってきた。指先がさくさく動く感覚がとても楽しいし、自由になった気分だ。このスキルを就職してからでも活かすことができたらいいな。)

「.世界への求愛」 この場所に来ると、本来の自分に戻れた気がしてほっとする。書くことのリラックス効果ってすごい。本当の私はおしゃべりなんかじゃない。文章ですべて語りたい。口をつぐんで、指先で自由な世界を描き出したいし、ひとつの考えに深く沈み込んで感じ入ったり、ぼんやりと空を眺て思いを巡らせたりするのが好きだ。声に出すと、言葉が私の中から逃げ出していくような感覚がある。文章だと、思いついたことが文字として残る。から、瞬時に忘れてしまったりすることがない。言葉を、思考を現実に縫いとめることができる。だから文章を書くことが好きだ。

「.世界への求愛」 このサイト名は、直感でつけたはずだった。当時高校生の私は太宰を知ったばかりですごーく影響されてしまって(今思うと青い、青すぎる。ちょっと、いやだいぶ恥ずかしい。) 「世界への求愛」!「ドット」をつけたらなんか語感いいし字面も装飾されてかわいい!サイト名は、私のお城の名前は「.世界への求愛」だ!!と直感的に思った。「世界」「愛」といった普遍的ワードの頂点みたいな単語に、生々しい「求める」がつく。「世界」の高尚さと「求愛」の必死さがアンバランスだ。頭にだけ「.」がつくことで、文を見たかんじとしても非対称になる。普遍的だけど歪で、変わってるけど共感できる。その絶妙なところを突いたネーミングだと自画自賛してみる。

高校生の時なんか、文芸部のペンネームを決めるのに紙切れに10個以上も候補をリストアップして、吟味に吟味を重ねてつけて、それでも現役の間どこかしっくりこないものを感じていたし、Twitterのアカウント(裏垢)だって一週間に一回は名前を変えていた。だからどうせサイト名もすぐ飽きるのだろうと思っていた。ところがどっこい、今だにこのサイト名、超お気に入りである。しっくり感が半端ではない。口に出して読みたい日本語ですらある。あとでブログ書こう、ではなく、あとでドット世界への求愛に行こう、って当然のように思える。でもこれは、誰にも教えていない、自分だけのネーミングだから、自分だけのお城であるからなんだろうな。この名前でインターネット上で活動を始めようだなんて思わない。他者の評価から逃げ出した名前。


書きたいことはまだまだあるけれど、いくつか記事を分けようか。これは日記みたいなものだ。思考したものは、またいくつかのカテゴリに分けて、別の日にしっかりと時間をとって(発表が終わってから、ね─☆)向き合って書こうと思う、


やっぱり、こうして一見なんの役にも立たない、生産性のかけらもない、無駄な、ことをしている時がいちばんワクワクするな。文章を書くことは大好きだけど、このことを仕事にすると、一気に嫌気が差してしまうのだろう。音楽もそう。文学もそう。無駄こそ人生。それが愉しいのだ。そのために生きている。社会に役立つ?実用性?いや実用性は大好きだけど、私にとって大切なことを、無駄だといって切り捨ててしまうような人間にはなりたくない。そうなったらもうおしまいだ。ブラックホールにでも吸いこまれたほうが地球のためだ。今後の人生で書く習慣を失う時が来るとすれば、最もありえそうなのが就職だと思っているので、本当に、向こう1、2年の私、頼むぞ!?という気持ちだ。労働にまけるな!好きなことはつづけろ!

ああ、文章を書いて落ち着いたら、久しぶりに小説が読みたくなってきた。電子書籍を買って帰りの電車で読もう。江國香織とか、川上弘美とか。川上弘美の作品をこないだ授業で取り扱い、私はそれで発表した。ぜんぜん理解できない作品だったが、それで期末レポートを書かなければいけないので、まあそんなこと言ってられない。


徒然にものを書くのってたのしいね。ここまで50分で2800字、一気に書いてしまった。それでは、また別のトピックで。

 



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